伯母さんっ!
あの家で〜っ














もちろん教材は筑波本でご存知の内容です。

ストーリーは何がメインかわからなく登場人物の説明も必要以上に長い。(とゆうかカットしても問題は全く無い)
AVみたいな作りでいつカラミがあるかと期待したがそれもなくニコニコのツッコミ文字が笑えるとゆうか見ている皆さんの気持ちがわかる。同情する



とにかく唯一の手柄は数十年前の事件で内容も忘れていたり、口重い住人に内容はともかく、又何で釣ったかインタビューしたことぐらいです。
インタビュー受けている年配の女性も聞き伝えか、もしくは学習し常に語り継いでいるかは分からないが事件内容はよく知っている(ある意味語り部です)
 
 
作州弁を私なりに理解し、インタビューを文字におこしてみました。

(加茂町の友達がいたもので理解しているつもりですが、誤字、間違いはご容赦くださいませ)




「警視庁特別調査課 マーダーファイル 津山30人殺しを追え! 」
倉見でインタビューの記録です。






http://www.nicozon.net/watch/sm12877890
(別ウインドウで開きます、合わせて御覧ください)















「あれが、本当にお墓ですか?」

えっ?ええっ、そうです、可愛そうだと思い見ます。そうだから、そこの上の家が血が濃いいから睦ちゃんのおばさんだから、だから、それだから、小さな標でもしてあげたらと思うんですが、でも、「睦ちゃん」のいとこも死んでしまいそれで奥さんだけが居られるんです。息子も居るそうだが岡山の家を建て出とるし、それだから私の家は全くの、他人になってしまっているし、この家は私の伯父さんの弟の家ですから、別れ屋敷として出したんですから、それだから全くの他人ですから来ることもないです。そこの若い人たちもそんな気持ちもありませんし、(睦男)可愛そうだと思います本当に。それでも、(供養)する人がないから(墓が)荒れるばかりだから少し小さな墓でもあれば帰ったときでも皆さんが参ってくれても良いと思うんですが、まあ可哀想なことです。はい、それは利口(睦男)だったと、とても、言われていたから、まあ、利口じゃあないとあんなことは出来なかったでしょう。それは本当に。前は肺病なんか嫌われていたでしょう、そのために奥さんももらうよう決まっていたんですが、向こうがやめてしまし、それで腹が立って「里帰り」に来た時にそんなに遠くじゃあなかったんでしょう、それで来たときに何して(事件)を起こしたんでしょう。娘は連れてこっちには帰ってないからね、それだから、あそこの荒坂山で自分で鉄砲で撃って死んだんよ、その上がる途中「紙と鉛筆」貸してくれと言ってそして貸してあげたら、「一番殺そうと思った人をよく殺せなかった、残念だった」って書いてあったと家のおじいさんが話していました。それは憎む人ばっかりで、よくあれだけ憎む人ばかり殺せれたと、私なんかも従兄弟も 居るたんですけどすぐ側に、おじさんの従兄弟かな?
そこは根源、見向きもしていなかったと話をしていました。それだから、いつも利口にそうに帰っていた、それは若いのによく考えた良い息子だったと言っていました。


「じゃあ、とてもしっかりした子供?」


はい、とてもそれだから「睦ちゃん」が死んだときには校長先生も教えた先生達もまだ生きておられたからどうも利口な子はやっぱり凄いことをするな〜っ。と言ってあきれていたと・・・。



「じゃあっ、その時は周りの人はそんなことするような子じゃあない、感覚じゃあなかった?」
 

そりゃあそうです、とても利口な良い子、それこそ家がそのくらいだから月も十日かな?  いつも仕事の勉強にも行ってなかったけどとてもよくしていたと、ずっと「級長」でいたと言われていたとおばあちゃんが話しておられました。私がここに来てから。私は下の村から来ているのですがここに、御西(地名)だったんです。その事件があった時は、


「あっ、そうなんですか?」


はいっ、凄い勢いで車が上るものですから見たら警察のオートバイも上がるしするから、言うししたら「睦ちゃん」がこうこう分けでまあ、居ないんじゃあないかと皆が怖くなって、何しでかすか分からないからと言っていたけど、ちゃんと、やっぱり自分で死んでいましたけども・・・。


「あっ、と言うことはあれですか、やったあと(殺した)どっか逃げているんじゃないか?また生きてて来るんじゃあないかと皆が?」


そう、そうです、それで怖がって、そこの上の(本家)伯父さんは山でも安くたたいて買っているから「なんでこんなに高いわけがあるかいっ!」と言って安く金を出しているから(きょうてい)怖いから夜は3日から4日ぐらい倉の中でずっと寝ていた。(睦男に)来られてダメと。


「怖くて、そうなんですか!」


そのことは本当にあったとおばあちゃんが言っていました。それは良い子だと言うっていましたから本当に。


「へ〜っ、ここいらの人たちは怖いっていうイメージは無かったんですか?」


そうです、少しも誰も悪く言わないしここ(倉見)から出た時が、ここから倉見の学校には行ったと聞いていますから、大方、間無しくらいにこっちの親が両方死んでしまいましたからそれで、おばあさんが貝尾から来ていたから自分の家に連れて帰ったんですから、それでも賢かったとお爺さんも言っていました。
前は囲炉裏でしたから、それだからおばあさんが寝てそれから殺したんだから、おばあさんの首を一番に跳ねていたと、はい、それでここに両方に電球着けて、ここにも付けてそれはとても凄いことをしていたみたい、死んでいたみたい行ったら。一番にまだ日が暗くならないまでに電柱に上って電気の線を切ってからしたみたいだと、それはよく考えていたよ。


「逆に頭が良かったからそこまでできた?」


そうそう、できた。そのかわり、ずっとその荒坂(千の城山)の自分が死んだところの木には鉄砲の弾を山ほど撃ってました。ずーと稽古に行ってたんです。毎日中、そりゃ命中するように、それだから貝尾の人達もあきれていたみたい。戸の淵、戸を開けたら尻の方に居ても外から撃っているのがパッと命中していると、それは大分、殺そうと思った人は殺していると言っていました。本当に。







「向こうの殺された人達からすると、都井さんとか大変なことありましたか?当時?」



いいえ、少しもありません、あっちの方の人が皆殺されたんだから、それで近所の悪く言ってた家は家内中殺されて、あの、6年生で修学旅行前から行っていますよね、それで行って戻ってきたら家内中殺されてその子が一人生きていて、そんなことがあった。


「修学旅行に行っていて助かった子がいる?」


留守にしたんですから。よく皆ではなしをしてたんでが、今、あそこ、塔中○○、出ておられるけど○○さん言って、あの人は(娘婿)は四国の方からか九州からか婿に来てられるけど、あそこの姑隠居さんが、あの「貝尾」でしたからね。あの人が帰ってきたら一人だけになったと、皆殺されてしまったと。話をしていました。だから近所の人たちも大分悪く言っていた人だけが殺されているんです。


「そうなんですか?」
はい、言わない人は一つも側にも来てないんです家の。


「あっ、そうなんですか?」「じやぁ、周りからすると「よく、やってくれた!!」っていう?」


そうそう、人を悪く言う人ですからね近所の人が、その息子は良い人ですがそれだから大分に話があったみたいです色々と。


「そうだったんすか!?」


だから家の親類の親子が、少しも、ついそこですが(家)私も行ったことがあるんですがあっちに(貝尾)、「この家ですよ伯母さん!」、それで見たら「睦ちゃん」の家はすぐ側です。「だけど私らには少しも何の音沙汰もなかった」何の音だろうな??って感じていた。全然わからなかった。皆が沢山集まるから何かあったんだろうか?とうことですから。話していました。


「そうなんですか!じゃあ、どちらかというと睦夫さんがいじめられたというよりは、」


そうそう、そのいじめられた人ばかり殺してるんです。


「そのいじめていたいた人たちもどちらと言うと周りからあまり評判が悪い人?」


そうです、そうだから伯母さんたちは良くしてあげていたみたいで喜んでいたと睦ちゃんは。


「村の人全員が怒っていたわけではないんですか?」


はい、それは違います、それだから一件屋でも皆殺されています。殺されなかった家には全く行ってないし、だから良く考えている利口な子だったと家のお爺さんもよく言ってた。私が嫁いでからも。それは良い子だったと言ってられた。


「じゃあっ、あの村(貝尾)でも全員に嫌われてはなかったとわけでなかったと?」
 


そうじゃありません、嫌っている人は少ないけれど全員殺されているから一軒家でも、はいっ、大勢ですけど。


「じゃあ、村で全員に嫌われていじめられてたんじゃあなくて、その一部の人達だけですか?それで、一部の人達もどちらかと言えば周りから「あの人は〜っ・・」と言われる人たちを・・・」殺してるんですか!」


そうそう、良く考えて、若くても、二十歳や二十一ですからそれは、よい青年だと言ってました。


「殺された地域の人達も?」


そうです、「可愛そうでしたよっ!」前は肺病のことを(悪く)言っていましたが、親は肺病で死んだというんですが、そこで(倉見)息子たちはそんなことはなかったんですがやっぱり広がるんですね(噂)あちらに(貝尾)行ったら、こっちに居た者がおばあさんに着いていっているから、それでよけいに嫌われたみたいです。


「実際、肺病じゃあっ、なかったんですか?」

息子は



「「睦男」さんは肺病だったんですか?」

お母さんたちは肺病で死んだ。


「自分は違うかったんですか?」






皆がやっぱり、親がそうだから子供もそうゆうことにしてしまわれて嫌うから、とても嫌われてしまっていて可哀想だったと話をしておりましたよ本当に。







「睦男さんはなんでそっちの貝尾にいかれたんですか?」


息子?それは、おばあさんが貝尾からここに嫁いで来ていた、それで息子や嫁さんが若くて亡くなったんです。「睦ちゃん」の親が、それで他の者は兄弟集もあったんですが他所へ婿に行ったり嫁に行ったりして居ませんでしたからそれで「睦さん」を連れてこんどはあちら貝尾に連れて帰ったんです。

「肺病でもないのにそうゆう噂聞きつけてもう決めつけられて、その決めつけてた人達がいじめていた人」



そうです、それだからみんな殺されている、沢山。そうですけでども、嫁さんになる人だけは、もう他に二人ほどいたがそれは殺せなかったと書いていた(遺書)とお爺さんが言っておりましたから。


「お嫁さんになる候補の人がその村に二人くらい居てその人は殺せなかった?」


どうも、何処へ隠していたか、連れて逃げていたか知りませんですが、殺せなかったと書いてあったと言っていました。そう言って。
それは可愛そうでしたよ、それだから「墓をして(墓石)あげればいいのに」とよく言っていましたよ。とうとうよくしてあげられなかった。


「じゃあっ、周りの人らも皆、同情だったんですね!?」


 
そうそう、だから家もなくなるし、あそこい辺(貝尾)は殺されてしまったから・・・・。


「あっ、そうゆうことだったんですか!?」


そう言って・・・。
 
 




70年目の新証言



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