取材記録1



前日は大荒れで地元の山道でも土砂崩れのため通行止めされた所もあったんです。朝方まで雨が降り続き今日加茂まで行くのはやめようかと思っていましたがせっかくの休日ですし。親友(以後聖二)を誘って津山方面に朝8時半頃出発しました。
出発から次第に晴れだし紅葉も深まりドライブには最高な日和です。私の住まいは鳥取市内です。免許取得してから何度となく津山方面には行っておりましたが現場の町「加茂」に行くには智頭から数回通った「物見峠」経由で行くのが近くその道を行くことにしました。
もちろん峠は狭く険しい林道とは知っていましたし一番は現地調べでも狭い村道、目立たない車の方が(燃費もいいしね!)。
農業用のサイドカーでもある「
軽トラ」で出発です。




途中智頭の「ローソン」で朝食兼のパンと飲みも買っていざ峠に向かいました。紅葉も見ごろでとても素晴らしい車窓です。
ただえさえ走りなれない
細かいカーブの連続∩前日の雨で道は湿った大量の落ち葉でビビリまくりの峠越えでした。一番の不安は平日だし、峠入り口には「大型車通行止め」の看板で人通りは全くありませんもちろん携帯も圏外。事故はもちろんのこと車が途中で故障でもしたら.....。と考える。杉がきれいに植林された深い谷の狭い林道の峠も越え人家も見えはじめました。





(峠を下って一つ目の村です。すげーっ!まだ萱葺き屋根じゃんっ!)





物見集落から県道道沿いに素晴らしい紅葉を眺めつつ気がつけば標識、「加茂」の町へ。
(思ったより田舎で道中 スーパー、コンビにも目につきませんでした。)



まずは標識に従い写真を撮るべき昭和2年には開通した「
加茂駅」へ。踏み切りを渡り当時と変わらないような狭い道。両脇に商店に挟まれた当時の面影を自分勝手に感じ思います。










当時「睦雄」君もこの駅を拠点に都会へ出ていたと思うと当時の想像も膨らみ、隣の友達差し置いてテンションも上がってきました。
ここの周辺は「東加茂派出所」が管理区。県道を挟んで橋を渡り加茂中心区に行けば「
卯一」が第一通報した「加茂派出所」。ネット下調べで道沿いなのは分かっていたのでなんなくたどり着く。







(現在でも貝尾からは相当離れてる。ま〜っ、通報時AM2:20頃には全ての事は終わっていたのだが。)



道が狭く個人の小さな専門商店がまだ栄えてるそんな感じの町並みです。
次は「
睦雄」君が通っていた「万袋医院」へ車を移動します。道が狭く改めて「軽トラ」で来てよかったと自覚。

カーブを直進すぐなのですが前から来た自販機業者の車にビビリ思わず左に曲がってしまいました。300メートほど進んだ途中でユ−ターン
道沿いの畑で農作業していたおば様に「
平井医院はどこですか?」と助席の聖二に聞かせました。初めての現地だし、ネット検索か「平井医院」の近く道沿いとは知っていました。

狭い街でそこから100メートル左折、平井い医院経由、スーパー横の踏み切り渡り、すぐに目的の「
万袋医院」は現在でも営業されていました。





運転席から写真を撮りそこから道を80メートルくらい後戻り、左へ土手沿いにまっすぐ道なり1本道が「行重」へ、「貝尾」までの道のりです。


道が狭く2車線、1車線との混合道すがら。車窓には左に棚田の水田、左遠くには昔ながらの個々の大きな敷地のお屋敷が目に入りこみます。




いよいよ「
貝尾」入り口までやってきました。ネット検索で見た徒歩で入り口を真っ直ぐ行ってしまった方の記事を思い出します。

どなたか動画を公開しいていましたがそのままの景色(あたり前ですが)気持ちも高ぶってきます。
道すがらの「
眞福寺」入り口から助手席の聖二がおとなしくなる。ま〜っ事件のことも詳しく教えていないし興味もない狭い登りの小さな村に連れてこられたのだから。

分かれ道を左に登り「岸本」家の後っぽい石垣をデジカメにおさめました。建物は変わっても70年前と場所は変わってないはずです。下調べはしていましたが坂道が多いいですね「だんだん畑」「棚田」に家々が建っている。が分かりやすい表現です。



(空家だけどここいらじゃあ現在も良い家でしたよ)


あと、道すがらは「いつの時代か分からない」
小さな墓石が沢山目に付きました。
「寺元」家まで登り、そこでユーターン。下り集会場の上の「都井」家跡の石垣のそばから斜め上の「お堂」を運転席からは上手く撮れないので
聖二に「降りて撮ってきて」と言うけどいやがっていたが「後が高くつくけえな〜っ!(怒)」言い放ち降りて2枚撮ってもらいました。





道の下の家から犬がとても吠えていました。道は「
軽トラ」でもいっぱいの細い道です。まだ村人には会ってませんでした。犬の鳴き声に早く「逃げないと??」と焦ってきて直進左折して「蚕」を飼ってた「寺元」家の方へ登りました。
そこは家が行き止まりでここを訪れて人は必ずこの家でユーターンしなければいけません。(僕は家の横の畑に通じる道でユーターンできました)





それから下へ真っ直ぐ降りて「
貝尾」部落を後にしました。時間にして「駆け足の20分くらい」車を降りて散策する根性はありませんでした。



全てネット学習上と筑波本の予習です。




坂本集落まで降りてきて。「岡田」家後と思われるところで撮影をして「
荒坂峠」方面へ。



本当に細い坂道が続きます。二股まできました。ネットでは真っ直ぐみなたいことが書いてあったものだか行くと車はユーターンできない小さい墓が所々にある人家を借りないとユーターンできない行き止まりの村でした。



そう、間違っていました。(汗!)



田んぼの畔でユータンーして二股まで帰ってきてもう1本の道へ。
峠の入り口は村の小さい道のようで分かりにくく乗用車は直進あるのみで方向転換もままならない細い道です。

狭い村を通りぬけると、ネットでよく載っている峠の入り口写真と同じ場所へたどりつきました。自分の想像より狭く坂がきつい!!

乗車で来ていたら100パーセント後悔していました。


狭い小さなカーブが多く加速も付けることができず「セカンド」走行です。


ユーチューブの画像の登りきって先が見えないそのまんま!道があるか心配しました!(ジェットコースターの天辺)視界は広がるもののすぐ急な下り坂です。止まって写真は撮ったもの坂道発進ですよ!



聖二撮影)


そこから道を下り少し行くと「睦雄」君自殺現場下の「お地蔵様」が左に見えてきます。





誰もとうらない険しい峠です。車事故と自殺現場の「神懸かり」の怖さから「お地蔵様」撮らせてもらいながら「
南無阿弥陀仏」を連呼しましたよ。

それからは急な下り坂のオンパレードきれいに植林はされているものの道は陰で薄暗いし谷も深く事故しても見つかりにくいところです。ブレーキ踏みぱなし!心なしかブレーキ踏んでも落ち葉で滑り効きが悪く感じる。
後ろから「睦雄」君追いかけてきているみたいで気持ち悪くて
聖二に「線香代わりに煙草吸え」(私は吸えない)と言いましたよ(一人じゃ絶対怖い!!)


下り道のせいか15分ほどで下の村まで出ることができました。「荒坂峠越え」は加茂方向からの方がまだましです。津山側からは登りがきつすぎます。


感想は道は狭く現在でも小さな田舎町の家は大きく古く急な坂道にある小さな村、人里はなれた辺ぴなところでした
当時の生活を想像することが怖い「おごってしまった生活を送っている」自分を自覚しました。
景色は70前とは代わっていないだろう?という感想でした。
荒坂峠は普通車、雨、夜、一人走行はお勧めできません。(命にかかわります!?)




「津山30人殺し」の現場がどんなところだったかの目的は終了しました。


ここまで長々読んでいただきありがとうございました。



って、実は話しはこれからなのです


なぜこう長々記憶が新しいうちに「取材記録」を書こうかと思った理由は・・・




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