本サイトの歴史的な資料はネット、購入本、図書館から入手した当時の新聞、自己らの現地散策画像で構成しております。
歴史的に風化させてはならない事件と思っており、誰かが保存、興味を持たれた方への公開しなければと私が勝手に思いこみで製作したサイトでございます。
各、優秀サイトから無断でお借りいたしました画像に付きましてはリンクも張らずに現在に至ることを深くお詫びいたします。
津山事件に興味をもたれた多くの未来永劫の皆様方のためにもどうかご理解いただきどうかお許しくださいますようお願いいたします。
図書館よりスキャン入手8枚です。新聞内容につきましては先に公開されている優秀サイトさんから御覧ください。
久々に新聞(過去に図書館でスキャンしたもの)を開いて読み返してみました。
当時、知った所でどうしょうも無い被害者の名前が知りたくて入手。(偽名だと思うとはがゆいんですよね(笑))
しかし、新聞記事の被害者氏名も統一性がなく、墓の名前をを一つ一つ検証しなければ真実性がないと思い放置していたのが事実であります。
至りこのサイトでは思うがまま、睦雄君自殺現場の荒坂峠重視で行動をしてまいりました。
今一度、新聞を読み返し、他の資料と比較、一個人の意見を書いたページです。
(事件に対する私の思想が幼稚なのは今に始ったことではないので駄目出しなしでお願いします!(笑))
おなじみ筑波昭先生署、「津山三十人殺し(村の秀才少年はなぜ凶行に及んだか)」からの私の意見です。
都井は倉一を仕止めたと思ったらしい。
??
筑波先生、書きながら最後の遺書に書き綴った文章読んだんじゃろう?
読者みんなの駄目だしがあったに違いないね。
なぜ睦雄君は見逃したんだろう、皆が騒ぎ出したのもありえるが仕留めることは断念しただけと思う。
現在は空家の当時の倉一宅(赤い○)
私は事件襲撃当時と変わってないと考える当時の住居、長屋かな?二棟あります。
「津山三十人殺し」被害者検証図を御覧いただければどちらが母屋がわかると思います。
天狗山経由、槍原経由は後の犯行時間からみて完璧に無理です。
どうして、美談にまとめるのかな〜?
せめて「早く出さぬと撃ち殺すぞ!」もいれてほしかったな。
土足で入って来たんで〜っ!!
新聞によると第一声目は「罪の無い者は撃たぬ!」だそうです。
雑記帳渡すとすぐさま出て行き、伏見検事聴取書の会話記録が事実でも睦雄君は武元家に数分しか居なかったみたいです。
自分から結核と方言していたのはぶらぶらしている自分の村人へのいい訳かな?
天台宗なんだ、眞福寺は「眞言宗」だから檀家じゃなかったんだ。
ってことは実家の都井家は「天台宗」だね。
犬も殺して食べた!!
ま〜っ、推測はつきましたがやはり結核を直そうと努力した結果、犬食いましたか〜!
でも、哀願してたペットまで手にかけるとは相当病から回復したいと願っていたに違いありません。
殺してしまった犬にも睦雄君は厚く葬ったっことでしょう。
ネットで検索したら案の定、類似の記事が出てきました。やはり元気が付くみたいですね!??
犬食・犬鍋についての疑問より
犬肉食は韓国の焼肉文化同様、中国の北方民族が最初に朝鮮半島へ伝搬させたもとだといわれており、虚弱体質の改善や結核の特効薬として、今にも死にそうな病人やけが人、身分の高い人のみの間で食べられていた。犬肉は人間に近い食べ物を食べているせいか人間の肉質にもっとも近く消化もよいのでとくに夏場の夏バテ防止食として伝統的な食べ物として現在にいたっている。
その後は治ると言う考えをすててしまって養生した。それは養生したのは少しでも丈夫になってきゃつ等に復讎してやるためだった。それからは前とは考えをちがえて丈夫になる様につとめた、そうして神様に祈った、どうか身体を丈夫にして下さいましてきゃつ等を殺さして下さい。きゃつらを殺しましたら其の場で命を神様にさしあげますと、全く復讎に生きる僕だった。ずいぶん無理をして起きもしまた歩きもした。ひたすらうらみにもえてどうきの高い心臓をおさえ、病気が出ていたむ胸をおさえて。ところが不思議に治るかんねんをすてたら、今迄の様な心配が無くなったせいか、少しも快方に向わなかったのが次第に良くなっていった。
神様にお願いしたんだ〜!どの神様?
やはり、自宅から近場の「大師堂第六四番札所」かな??
現在の大師堂と建てかえる前の昭和の萱葺き大師堂↑(警視庁特別調査課 マーダーファイルより)
そうなら、犯行前に睦雄君は自転車に乗って、通いなれた道の時間計測ではなくここまで念願成就のお参りに来たのでは??
いずれにしろ、にわか信心では神様も願いは完璧に聞き届けてくださらなかったみたいで結果、討ちそんじ多々。
でも、睦雄君は神様に約束どうり命を捧げたのでした。(生きてても後がしんどいわな〜っ。)
懐中電灯を頭に括り付けてたわけを考える
懐中電灯を用いてする猟を以前聞いたことを思い出しました。(1982年「マタギ」公開頃かな?)
最近ネットで調べた記事です。
懐中電灯を頭に付け行う猟があります。
長野 「かいじゅう」談より
むかし聞いた話 (またぎの世界)
林道を歩いていると 私より遅い時間に出たはずの 猟師が道の先で たばこをふかし 休憩をしている。[何故?遅く出掛けた人が私の前で 一服してのか?]質問をする・・・・・答え (けもの道を歩いているだけ)????と言う返事。 しばらく話し込んでいて 夜中の猟について! 質問☆「夜中見えないところで〜 猟がどうしてできるの」・・と疑問に思い 訪ねてみる。 猟師は懐中電灯と猟銃を肩に引っかけ・・・・・ 夜中動物がいそうな場所を光で照らし、二つの(目玉)の「光った中間を狙って銃の引き金を引くと射止めることができるのさ〜!」と話していたのを思い出す・・・・・・。
狩猟と釣りとベンツとバイク 群馬のマタギより
GOLDLAUFさん。
何頭か確認出来ましたよ。
真っ暗と言っても昼間山に入って一応は確認していますよ。
そうでないと滑落とかして命が危ない。。
それに懐中電灯も持ってますし・・。
鹿の眼はライトに反射すると緑色に光ります。
人間はオレンジ色、熊は青に光りますから簡単にわかります。
鹿と目が合うのはしょっちゅうですね。
お互いじっと見つめ合います(笑
睦雄君は夜行する猪狩にでも出た感覚でしょうか?
猟銃免許取得学習本に懐中電灯猟のマニュアルが書いてあったのかもしれません。
そりゃっ、何度も猟銃持って「撃ち殺してやる!」と来られたら警察に通報するのはあたり前だねっ!
私だって仕返しが怖くてマツ子が京都に逃げる気持ちはわかります。
事件を筑波昭先生はわかりやすく小説仕立てにされフィクションもとりまぜておられますが、実名入れたり、関係ない事件こじつけ等、多々ありますが歴史がわかる読み物としては素晴らしいと思います。
とくに「津山事件報告書」の記録基になった現在は紛失したであろう「供述要旨、殺人事件捜査告書、etc...」、をおりまぜての出版はとても価値がある書物だと思います。
1981年第刷発行、事件から43年後ですね、いったいどこで「津山事件報告書」を閲覧したのでしょうか?
もしかして紛失した「津山事件報告書」は筑波先生が所有していたりして!?(謎)
「津山三十人殺し あとがきより」筑波昭先生の言葉
「わが国最大のこの大量殺人事件がさらに広く知られ、犯人をはじめこれにかかわった人と時代と風土に関して、
いくばくかの新たなる認識がもたらされるとすれば、それだけでわたしは満足するにちがいない。」
私も筑波先生と同じくホームぺジを公開している信念は同じ気持ちであります。
今、このペ−ジを御覧いただいた皆様ご自身の思い浮かんだ私と異なった推測が津山事件への風化を抑えるのです。
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