現地資料館6
仙の城山(荒坂峠)〜ウッディハウス加茂
御覧くださった方が何かの参考になれば幸いです。
それでは出発!
貝尾から荒坂山まで四キロ余り
改めて荒坂峠を上り仙の城一四八一番地に足を運んだのは「津山三十人殺し最後の真相(著 石川清)」
「睦雄、自決すー」 のくだりの連載写真を目にしたからです。
以前から当HP連載済みの睦雄君の画像、しかし後方の景色が写っているのは初めて拝見しました。
これまで幾度となく山登りをいたしましたのも自決場所の特定が目的でした。
遺体角度からどこかで見たような地形だったもので今一度、山歩きにはよい季節も手伝い決行いたしました。
仙の山城の神様、今からお邪魔します!よろしくです!
(古書によると、海は男の神様、山は女の神様だそうです)
お久しぶりです地蔵尊様!
まずはお線香の香りでお腹を満たしてください。
どなたでしょうか?前回は無かった「十円」がお供えしてありました。
今日はお土産(お供え)持ってきましたよ、造花ですけど綺麗なお花でしょ!
上の山頂まで上ります。どうか無事を見守ってくださいませ。
2004年2ちゃんねる掲示板「津山30人殺し事件」よりの貴重な書きこみであります。
津山30人殺し事件より
79 名前:昔話 投稿日: 2004/11/15(月) 18:53
この事件のことを、何回も父親や叔父達に詳しく聞いた事があります。
明方半鐘が鳴り、祖父たちが山狩りに出かけた事や、風穴の開いた死体、都井の自殺現場、(何かにもたれて膝の上に猟銃があり、死んでいるのか、寝ているのか判らなかったそうで、石を投げつけたり、棒でつついたりしたそうです)
都井の生い立ち、当時の結核患者に対する地域意識などなどの話の中で動機と言う点で、皆一様に
82 名前:昔話 投稿日: 2004/11/17(水) 14:51
近づけば当然判るのですが、林の中で、見通しが悪く都井らしき者が横たわってる程度しか最初は判らなかったみたいです、武装した凶悪犯ですから、いつ撃たれるかも知れないので恐ろしくて皆、声は掛けても、なかなか近寄れなかったみたいです。
今でも津山警察に犯行時都井が着ていた装束一式を、展示してあると思いますよ。また、加茂周辺には当時の事を覚えている人は、かなりいるので1度足をお運びになればいかがですか?拒絶される事はないと思います。八つ墓村の出演者も加茂の役場に
話を聞きにこられたそうですし、テレビで30人殺しの番組があった時も現地の映像を撮影してましたから。
(何かにもたれて膝の上に猟銃があり、死んでいるのか、寝ているのか判らなかったそうで、
石を投げつけたり、棒でつついたりしたそうです)
何かにもたれて??・・・・・。
下の角度から睦雄君を発見したなら、何かに持たれているようにも見えます。
この角度方向なら黒の詰め入りで流血も見づらかったかったら寝てるようにも見えます。
第一発見者の西加茂消防組代二部隊 平井隊長は下から現場に上ってきたのに間違いはないでしょう?
(手前は突ついた棒でしょうか?)
下の小さい○は文章描写で分かりやすい約220年前魂をふき込まれた自蔵尊ですが
事件翌年の初夏、琴平神社の縁日に現地に訪れた中垣清春予備検事
の報告文書には登場していない、当時はまだ設置されてなかったか、違うルートで現場まで上がったのでしょうか?
ですがここから旧道があり仙の城一四八一番地に行くことができるのは事実です。
昭和53年の植林後間が無い航空写真です。
まだ峠道は収穫前で現状維持、アスファルトは舗装する必要は無くまだされていないように見うけます??
林道は旧道から開拓し現在に至る道が多く見受けられます。
下の小さい○(地蔵尊)からの黒い線は当時から林道(山道なのでしょうか)?
ならば・・・。
分かりにくいので最新のYahoo地図です。私の現地山歩き経験上ここ5年以内だと思います。
見やすくよくわかります。上の当時の赤線下の黒い影は林道には間違いありませんでした。
以前の(当HP現地資料館)報告のコースなのでかいつまんで進めます。
去年と違い道には雑木が繁殖!!葉っぱが付けば道も見えなく歩行困難!!
一目瞭然、木材収穫道で旧道ではありません。
収穫後、また植林されたヒノキです。
このヒノキが収穫されるまでは枝打ちくらいだから収穫道は(今後15〜30年は)荒れ放題だと思います。
朽ちたか、雪の被害かはたまた睦雄君が来るな!とか言っているのか頂上までの道がふさがれています。
仙の城一四八一番地の山頂付近は植林されていなく雑木ばかりです。
(御覧の通り若木が芽を吹けば寄りつけません!)
隙間からズームしても景色は見えません。
私の中では自殺場所地形が似ていると思う所??
その左上、雑木で景色が見えません。
山桜ですがまだ枝ばかり当日はまだ芽も吹いていませんでした。
ズーム画像ですが本日は霞んでおります。
↑の画像はこの写真11時の方向収穫道よりズーム撮影
旧道の道が続いています。雑木で走行は断念いたしました。
この道を上に上がれば最後の自決場所に続いているのは間違いないと確信いたしましたが、現状は「木材収穫」道を上るすべしかありませんでした。
写真の撮影場所です。
死者は頭部を西方に向け、上向きとなり、両足は共に少し屈指し流血は濡らし居れり。
地下足袋はきちんとそろえただろうが
約2貫(7.50キログラム)もある装備品は犯行中、走行中は重かったのだろう無造作に置かれています。
現場を後にします。
この山はイバラが多いいとても歩きにくかった。
無事下山できましたありがとうございました。
当日の雑な動画ですが画像よりは分かりやすいでしょうか!?
(↑画像をクリック)
通行止め〜地蔵尊〜仙の城1481番地〜下り道(約9分)
荒坂峠を後にいたします。
この地域で駐車しやすいお食事処はここしかありません
もちろんご存知、睦雄君が通った西加茂尋常高等小学校跡地内
正午過ぎ、お腹も減りました。
玄関口入り、左は宿泊と温泉のフロント、左がレストラン
室内は広く吹き抜けで宿泊の部屋も見えるお洒落な作り、掃除も行き届いております。
従業員は熟年男性と女性の二人、ご夫婦には見えません?、女性は経営者で男性は料理長?
←クリック!
少々お高めですが普通こんなものでしょう。
うどん定食850円(私が注文)
から揚げ定食1050円(聖二が注文)
汁物の味付けがやたら薄く年配者への気配りか?
脇には塩、醤油など調味料一式がありましたから好みの味付け可です。
ウッディハウス加茂HP
貝尾現場等等々興しの際は利用してあげてくださいね。
(※宿泊は温泉(狭い)、トイレも共同)
今年は近年に無い大雪、季節はずれの雪のおかげで↑この記録の10日前に現地に出向いたものですが物見峠の途中からの通行止め、
途中から引き返し津山周りで現地間での2時間のロスタイム!
加えて荒坂峠、下の自蔵尊まで到着いたしましたが、山も寝雪もあるし急な峠道も雪があり車では通行不可能と上る事を断念しそのまま地元(鳥取)へ引き返した苦い思い出がありました。
↑前回は山にはまだ雪が残っていました。
戻る