現地資料館4
(倉見〜琴平神社)
御覧くださった方が何かの参考になれば幸いです。
それでは出発!
初めから言いますけど今回の倉見での現地取材は成果はありませんでした。
http://www.kenji-kitagawa.com/message_2009.htmlの 7月18日分ブログ記事が今回行動にかりたてたわけですが成果無し!
目的の睦雄君生家の記事内容の場所の特定はできませんでした。
結局意味も無く倉見までドライブしてまいりました。その過程記録でございます。
ここは倉見手前、黒木ダム手前、景色が一望できる展望所にある展望施設建物!?
木作りの螺旋階段で上まで上がります。
景色はこんな感じ。
この展望台まで登る階段、広場は↑タイルのように自然に優しく木が敷き詰めてあります。
こんな感じですが本日は雨上がりで地面は滑るし、湿気ってこの木から出る朽ちかけた木の悪臭!
絶対これは失敗でしょう!?
倉見入り口手前の苗木畑ですが小さな沢山のお墓のような感じ。
またまた倉見までやって着ました!(倉見バス停)
本日は睦雄君に報告なもないしお参りはいたしませんでした。
都井家スロープ下道挟み前の記念碑です↓。
画像は拡大いたしませんがお名前は倉見に暮らして居られるすべての件数でしょうか?
都井さん件数は、現地にて確認ください。倉見は都井だらけと聞いておりましたが嘘で少ないようでした。
都井一族の家をネットでアップできるわけも無く本日は退散です。
黒木ダムのトンネルです。狭いからすれ違いは無理ぽいですよ!
ファンならご存知の筑波本冒頭辺りにあるこの旧略地図。
この地図の見方がわからなく「現地取材館2」の取材ドライブ当日に(2010年1月12日)デジカメを地べたに落として衝撃、部品が飛び無くなるというハプニングがあったんです。
当初ホムペ記録にこのことを書こうかどうか迷ったのですが画像も無く精神的な動揺もあり没にしました。
当時、睦雄君が通っていた西加茂尋常高等学校を地図から探していたのですが地図右上の役場から神社の太く書いてある道に現在の道路と勘違いし、現在の町営グランドより上方面を駈けずり周り二時間近く散策、挙句の果てにはいらついて購入したてのデジカメを落す始末。
(太い道が現在の幹線道路と思い角が現在グランドになっている所かと思った)
そのおかげで一台しかないカメラの電池は早く消耗するし、カメラ無しでの記録がなければ取材も意味もないし聖二にもイヤミを言われるし
自分に腹が立ち速攻帰ろうかと思いました。
当時はカメラ一台で電池切れの画面見ながら荒坂峠(現地取材館2)まで登ったのです。
それ以降は画面にお互いが写る、っていううかその教訓でカメラ二台持って現地には行っております。
当時、結局は開きなおり現地の方に「西加茂尋常小学校はどこでしたか?」と道端のお宅の軒先まで行き訪ねました。
そうしたら現在の「海洋センター」のところと即答、初めから聞けばデジカメも壊すこともなかったでしょうね!
それから「現地取材館3」ではわからないことは聞くとゆう根性ができたのです。
麓で教わった場所も来てみると頗る漠然としていた。
積み重なった杉の病葉を踏みしめ、灌木の繁みを分けて、それらしき処へ出て見た。そこからは貝尾の部落は一望の下にあった遥かに西加茂小学校も俯瞰し得る。
犯人の生地加茂町倉見も見えるとのことだが、わたしたちにはよくわからなかった。
なら簡単、ここが「西加茂尋常小学校」ならここから「仙の城山」方面を写せばええんじゃっ!
この白い建物は内床下が土で屋内「グランドゴルフ場」に!?
多目的使用でしょうが当時、覗いた時はその大会していました。
ここからの峠方面がこんな景色。
筑波本の「中垣検事」がここが見えた場所に行けば睦雄自殺現場周辺ビンゴ!
とりあえず数枚カメラに峠方向をおさめました。
筑波本に「中垣清春予備検事」が金毘羅神社存在に触れているくだりがある。
筑波本の旧地図から
当時は貝尾から役場まで出る道は下の赤い道が支流だったのではないか!?
(今回は現場に行ったことがないとわかりにくい説明でごめんなさい)
なら、この前の騙されて(見方がわからなくて)デジカメ壊したわかり難い旧道通ってみたろうやないかっ!!
入り口の琴平神社まで続く神道(車で十分走行できます)
右↑の鳥居から登らなくとも上にまだ車で寄れる脇、近道があります。
「少年倶楽部」でも売ってるんかいなっ!寄ってみましょう!
ぬお〜っ!なんて気持ちがよさそうな御神木なのでしょう!!
(大鳥居抜けてすぐ右)
結構大きな御神木です。
なんじゃ〜っ!「名木百選」、変わった名前の木ですね。
誰もいない!?人気の気配はしませんが水道、右手に公衆トイレとかはありました。
右に「展望台⇒」の看板がありました。せっかくだから登ってみます。10分足らずで・・・。
歩いて5分くらいですが坂が少々きついです。アジサイが道端を囲みます。花があればみごとでしょう!
ぬお〜っ!予想外の展望台!!
中途半端なジェットコースターの登り口って感じです。でも近代的ですね!
360度見渡してみます。
視界もよく素晴らしい景色です。
この時点ではまだどの方向が睦雄君が最後を遂げた荒坂峠かは把握していません。
あれっ!?ズームしてみます。
な〜だっ!西加茂尋常小学校(海洋センター(赤いトタン屋根))はこの山の裾に建っていたんですね!
頂上に鎮座される地蔵尊
お社を下ります
本殿正面、階段を上がると右側の「寄付者芳名」記念石碑
昭和50年から2年建設で築造されたらしいです。
実はこの芳名者の中には筑波本にも載っている名前も数名。
本には名前は載っていなくとも当時、悲惨な現場を見た方
荒坂峠へ山狩りに行った方もおられると思います。
金毘羅神社が鎮座される山を下ります。
現在の支流道と合流します。右の生ゴミ回収BOXの横に記念碑があります。
「鳥居建設寄付芳名」とありますがしっかり、
睦雄君が最後に立ち寄り雑記帖の一部をもらった家のあの有名なお爺さんのお名前があります。
筑波本では仮名かと思いましたがそのまんまです。
同性同名の方でしょうか!?
闇雲に睦雄君が最後を遂げた荒坂峠の山頂をカメラで撮り続けてこの1枚がビンゴ!
印があるところが先日上って景色を望んだ場所だと特定できたのは次の現地資料館5の業((行)ぎょう)があったからでございます。
この地図の青い道と赤い道の見方が分からなかったおかげで金毘羅神社にお参りができました。
それとも「金毘羅様」に呼ばれたのでしょうか〜?なんか良い運が着いてくれたらいいんだけどな〜っ!!
黄色の四角が本日のポイントです。カッコは近代的な展望台位置です。
金毘羅神社は下より車で上がれる脇道が3つあり一番上は本殿まで行けます。
私たちは真中から入り石階段登り本殿まで上がりました。
金毘羅神社が以外に山の上にあり運動不足で膝もガクガク!!
この時点ではまだ
荒坂峠の「仙の城山の山頂」まで上る指令の神様は降りてきてはいませんでした。
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