現地資料館3
(倉見〜坂本(元)〜荒坂峠)
御覧くださった方が何かの参考になれば幸いです。
それでは出発!
いきなりここは倉見のキャンプ場
管理が行き届いていますが全く人気の気配はありません。
本日,ここにたどり着くまでの対向車は「もみじマーク」を張った軽トラ1台だけです。
この標識を左に曲がります。
これが倉見のバス停です。
でもここから倉見集落(人家)まではとても離れています。
車で2分ほど進みます。
また来させてもらいました、宜しくお願いします。
この、スロープがの下のお墓が「70年目の検証」で週刊朝日に載っていたいました。
このお墓にご挨拶するのははじめてです。
天下の報道雑誌だし「睦雄君」のお墓と確信しておりましたが、
・・・・それなら前回のお墓は誰の?
どうにも気になる。
分からないことは誰かに聞きましょう!
それから周辺をうろつきましたが誰にもタイミングが悪く出くわさない。
うだうだドライブしながら往復三回目にやっと第一村人発見!
この方も都井さんです。
お墓正面右が「本家」左が「分家」(いそ)さんは分家出で睦雄君の墓も分家管理で端の方。
でも場所は知らない。とのこと。
「教えてくださり、ありがとうございました」とお礼を言うと私に負けないくらいの深々としたおじぎをいただきました。
今一度お墓に立ち寄りました。
先ほどのお墓にご挨拶いたし、
前回のお墓(尊敬する津山事件先輩確定)とスーパーモーニングで紹介されていたお墓にもお線香をあげて参りました。
本日出会った歴史のある三つのお墓の中で今はどれが睦雄君のものかは私は断言はできません。
(この時点の記録では判断できませんでしたが、下のスロープのお墓は無縁仏の五輪さんで
睦雄君の前にある二つの石の墓は斜め後ろのお墓の男性のお子さんのお墓だそうです。
後にお墓を管理されているおばあさんから聞きました。)
また、お邪魔させてもらいます。
お騒がせいたしました、ありがとうございました。
一路荒坂方面へ車を進めます。
ふと、道沿いの電信柱が気になり無意味とも思いつつ「行重」手前から後方車もいないことだし数メートルごとに並んだ電信柱の番号を見てゆきました。
筑波本に載ってる「大字行重の八号柱」昔の場所だしあるわけないやん!
と思ったら数字が「行重6」「行重7」!と近くなる!
7号柱の次がこの電柱です。8号柱!?
でも号数のプレートがないんです!
誰かマニアが盗んだのかと思いました。
車を止めて8号柱からは田んぼに電柱が行っているので降りて散策。
向こうに行っていた「聖二」が嬉しそうに呼ぶ、行くと!なんと!
廃材を利用して作った橋です。よく見ると!
柱に「行重四九」のプレートがあります!
おしいけど私たちは感動しました!
もちろん当時のものではないでしょうけど昭和に触れることができました!!
前回からいまひとつ岡田家の場所がわからなくページでは紹介していませんがそこいらじゅう散策していたんです。
どうにも気になる。
そうだっ!
分からないことは誰かに聞きましょう!
屋根に話しかけているんじゃありません、棚田の下にある御家の方と喋っております(笑)
・・・・。
右上の所が電柱
下の赤は・・・。
荒坂峠に向かいます。
ここいら辺りなんじゃがの〜っ!?でも、でーれーぇ広い範囲じゃちゃっ!
またまた、今回も勝手な山登り散策レポでなんの脈略もありません。
今日の散策コースです。
地蔵尊辺りから登り下記の画像になります。カッコ印が道端の写真を公開している眺めが良い所です。
前回と同じく地蔵尊の脇道から登りました。
細いイバラ道を登るといきなり開けた所にでます。
聖二がいる所が↑の写真で、すぐ幅の広い林道が続きます。
前回はこの山の山頂(右上)からレポしました。
前方林道は開拓済み山裾、後方へとつながっています。
この山の山頂続き端ですが不自然に木が植えた後がありません。何でだ?
当時の今で言う「展望台」ぽいです。
山頂続きに行く先には高い山が!
現在は最近に木材収穫、植林済みで歩き易い道がついています。
うわ〜っ!御覧のとおり天候が悪くなりました!
霧雨の濃いやつ??とでも言いましょうか濡れるほどでもなけど寒い!
登ってみます!
わかり易く言うと小さな山が収穫しやすいよう道が付きウエディングケーキ又はバベルの塔のような螺旋になり頂上へ。
雲の中に入った感じ!?視界が悪く全く景色見えません!
近辺の写真撮ったりしたけど一行に晴れないし寒くて耳が痛くなってきました。
先ほど登ってきた道が中央です。相変わらず何も見えません。
山頂の画像です植林されて間がありません。きれいに木材が収穫されています。
こんなに切り株があるから収穫前の景色は山頂からは見ずらかったでしょう。
後ろふり返るとまだ高い山があるのです!
せっかくだから登ってみましょう!この辺りで一番高いです。
ぬお〜っ!睦雄君の銃撃練習跡が!
と一瞬思いましたよ!啄木鳥でしょうね〜!?
後ろから着いて来ていた聖二が何も言わずにさっきの山頂へダッシュ!
晴れてきたみたいで先ほどの場所から景色を写したかったらしいです。(その写真です)
まね〜っ、寒い中山頂で40分くらい晴れ待ちしてあきらめて降りたんだから気持ちはわかります。
先ほどより幅は1メートルくらいの九十九折れの山道を登ります。猪らしき足跡や動物のフンを目にしました。
それこそ当時どこかに越えるのかくねくね道はついています。
この山の山頂がこんな感じです。
ここまで着たら日頃の運動不足で膝が笑いました。
少し晴れ間がでたので今一度先ほどの所から景色を写しました。
貝尾辺りも高峰分件数もよく見えます。(中心より2時の角度)
ちなみにこの画像はいつもの道沿いからの写真。(帰り道に車窓より撮影)
高さの違いがわかります。
下ります。逆光ですが先ほどとが嘘のように素晴らしい景色です
今度の木の収穫は30年後ぐらいでしょうか?
昭和50年前後の航空写真です。
高田越えと倉見越えとの分岐点はどこ・・・?。
おさらいです。本日のコースです。
見晴らしの良い隣山ですが今回のように下からではなく山頂続きで上ることができれば少しは容易にたどり着く感じでした。現在は本日登った道しか開かれておりません。
車を置いた(出発地点近く(霜柱の所))左からは急な下りです。
地図上では下道からも現場まで道がついていますが車では走行は無理です。(幅はあるけどタイヤがパンクしそうな道です)
地図では分かりにくいですが赤い線の出発地点が山頂(地蔵尊)で津山方面へは急なり道になります。
一人で登るのは誰もいないし静かすぎて少し気味が悪いかな?
猪の足跡は確認しましたから猛獣注意です。
寒い霧の中から景色が現れた瞬間、72年前の睦雄君が見た景色は現在は大分違うだろうけど睦雄と同じ目線で見えた。
おごってしまい感動がない生活の毎日を過ごしている現在に幼い時の本当の懐かしい感動を感じることができました。
とか浸つつも、当時は睦雄にはまだ暗くて見えなかったんかな?
とか考える現実の自分がいる(汗)
帰り道、田んぼに放牧している牛発見!(だいぶ津山側です)
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