現地資料館2
(貝尾〜荒坂峠)
御覧くださった方が何かの参考になれば幸いです。
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それでは出発!
貝尾の地神様またまたやってきました。宜しくお願いいたします。

http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/76/ccg-76-7/c2d/ccg-76-7_c2d_14.jpg
プロの方はURLの資料が参考になりますよ。

銃弾の跡を心なしか探していた私です(岸田家近く)

筑波本と比較してみました。
中央がずっと都井家だと思って見ていました(白黒写真)が後ろの家が都井家とわかりました。

今でも立派な(もと)倉一家の石垣

年代を感じる石垣とりあえずここでも銃弾跡を・・・。でも確認できないね。

栗の木が植えてある敷地に勝手にお邪魔させて(ゴメンナサイ)都井家方面写真におさめました。

周辺はどなたかが取材済みの有名なお墓ポイントですが私のページでは控えます。
綺麗に掃除、管理されたお堂です。

・・・。
公開させていただきました。
(南無阿弥陀仏、南無阿弥陀、仏様ありがとうございました)
旧都井家の裏手道
・・・。

ここが坂本(元)部落貝尾と青山への分岐
手前にある唯一の自販機、農繁期には大活躍でしょう!?
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荒坂峠最後の「通行止め」看板手前山裾に鎮座なされております。

とてもお優しそうなお顔立でいらしゃいます。
字は何も朽ちているのか彫っていないのか確認はできませんでした。

塩、酒、お線香をお供えいたしました。
これは前回の、道端山頂よりの景色(左手前、坂元部落)

本日は逆光で必礼いたします。んっ!??
ズームしてみます。
前回は目が節穴で気がつきませんでした、先ほど居た青いビニールシートの小屋が見える!
貝尾部落もばっちし見えます。(肉眼でも地理に詳しければなんとなくわかる)
睦雄はここより高い山頂で眺めたし当時木も雑木で低いはずだし懐中電灯の灯りなら確認できるはず。
まして坂本(元)部落は手前で近く岡田家襲撃現場はよく見え電気もついているし騒ぎ声も聞こえたでしょう。
山頂近くの分かれ道に車を置きます。
何じゃこれは?
霜柱です!車の中は暖かく寒さを感じませんでしたが外は寒い!
現在時刻はPM12時半頃です。

これまたデカイ!でも綺麗で幻想的で他にも数枚撮りました。
この地蔵尊は保存状態がとてもよろしく字もよく拝見できます。

反転で読みやすくいたしました。
「寛政四子」
「六月 日」
と確認できますお背中には何も確認できません。
台座には「東西南北」
フリー百科事典ウィキペディアで調べたら
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E6%94%BF
下の地蔵尊は前は山頂、に居(お)られて現在は約220年前に設置(道路が付き移動設置)された。
峠、町外れ、辻に「結界の守護神」として建てられたと同じ石仏で睦雄君より先に存在されていた。
私の意見はこうですが真実はわかしません。
興味がある方は独自で調べられてください。


再会挨拶と本日の無事を祈りつつ手を合わせました。
「場所は苫田郡西加茂村大字楢井字仙の城1481番地山林中、比山林は同郡高田村荒坂越の山林続きにして、
都井睦雄の居住部落と隣接し、凶行現場より西北に約一里余をてたる山頂、眺望好き場所にして、
小松雑木等繁茂する中間の約十坪位の雑草地を選び
、所携のブローニング九連発の猟銃にて、左乳下心臓部を撃ち抜き自殺を為し居けり。」
この筑波本の記術と
http://www.geocities.jp/new_rim/TravelSketches/TravelSketches02.html
↑が
私の中の今回の行動ソースでありす。
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今日決行を思いついたのは僕と以前関係のあった寺元・・・・ではなく^^;
前回の経験から木々の芽が吹き草花が生えるてしまえば景色どころか山歩きもしにくくなる。
今の現状はハゲ山状態に近く前回から心残りであった山頂達成が容易であると考えたからです。
前回と同じく右わきの登り道へ。本日はこの山の頂上まで行きました。
途中から山頂までは以前からあったような窪んだ道がありますがイバラ道で歩きにくく横上道から
登りました(お地蔵様設置場所から10分位で山頂へ)

この山の山頂付近
御覧のとおり松の辺りが天辺。
(睦雄君が自殺した記録番地など調べ方も分からないし、個人思想の行動です)
この場面は私のただの意見で事実とは何の脈略も、津山事件と事実関係もないので勘違いしないでくださいね!
(ただの山歩きの記録です2010.2.4現)
景色だけでは分かり難いと特別出演^^;(てか写されていた、身長は172cm)
上と同じですが先の山頂続きが見えるので。
前方は近いですが山が違います。
↑の私の後方の老木「黒松」です。(生きてきた経験上ですが樹齢は70年近いと思います)松食い虫にやられて枯れています。
木が邪魔だけど樽井方向の景色も見えるますね。

樽井方面景色が見えて広い斜面はココ。松の斜め5mくらい下
先ほどの松ですがその先は急斜面で右後方からなだらかな斜面が下まで続いております。
もちろん事実かどうかわかりませんが
私をここまで行動させた上記のソースが正しければこの「老松」は場所は違っていても
近くで当時の睦雄君の行動を静かに見ていたことでしょう。
ようはお地蔵様が設置されている山の山頂の景色をアップしただけですので^^;

・・・・・。
「そこからは貝尾の部落は一望の下にあった。遥かに西加茂小学校も俯瞰し得る。
犯人の生地加茂町倉見も見えるとのことだが、わたしたちにはよくわからなかった。
ここで犯人は最後の遺書をも残して、呪われた二十二年の生涯に永劫の離別を告げたのである。
切り開かれた道のお地蔵尊正面の高峰の老木です。
伐採の予定なのかビニールひもが巻かれています。
この木何十年も前からこの峠をおとずれる者、お地蔵様に手を合わせる人々を見守ってきたことでしょう。
今回の取材では地蔵尊、植物(老木)に自分の感性を入れることにより時代と生命の終結を少しながら感じることができました。
また人生勉強させていただきました。
荒坂峠と津山事件に感謝です。
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